院長ごあいさつ(プロフィール)
はじめまして、大阪堺市のバランス整体院エール院長 木村正剛(しょうごう)です。
1973年12月26日生まれ。 A型の山羊座
A型の山羊座、本来この組み合わせは誠実・真面目というキャラらしいのですが・・・? 名前の由来は、ウチの母いはく12時10分前に生まれたので数個の名前の中から、正剛(=正午?)に決定したんだと・・・ おいおい(笑)
そんなことはさておき、おかげさまで平成11年度より、この仕事に就かせてもらってます。人の体に触れる経験を積めば積むほど、人の体の神秘さにますます魅了されている次第です。
整体師になるきっかけ
心優しき幼年時代
3歳のころ、小児マヒにより片手に障害を持つ叔母に、「おばちゃんの手、僕がお医者さんになって治したる!」と本気で豪語する、心優しき男の子でした。
現実を痛感する少年時代
しかし、現実の世界が見えてくる小学生の頃には、「そんなん、ムリ!」とその決意は早々と断念^^;
夢を求めさまよった青年時代
北海道へ
そんな変化のない日常に、自分に、次第に嫌気を感じるようになる。
悶々とした日々を過ごす中、再放送していた「北の国から」に心奪われ、「よし!俺も北海道で暮らす!」
今思えば、何を根拠にそんな決意をしたのか???
いきなり学校も辞めバイトも辞め、あてもないのに真冬の北海道に乗り込むことに。(アハハ、単純でしたね^^;)
ホント・・・
いきなりで・・・
父、母、すまぬ(><)
いざっ、北海道に上陸したものの
時はすでに12月半ば。。。
「向こうへ行けば、スキー場かどこかで住み込みの仕事もあるだろう!」なんて、安易に考えていました。
が、、、
・・・
全然、バイトないやん(・_・;)
そうなんです。
12月半ばなんか、どこも募集は終えてます(ホント、バカですね!)
しかし、幼なじみたちに「錦を飾って帰ってくるから!」
と言って出て来た手前、そのままオメオメと帰るわけにも行きません。
必死のパッチで、タウンページの「宿・ペンション」の項目を【あ】行〜順番にTELすることで、ようやく一件だけ面接においでと。
捨てる神あれば拾う神ありです!(^0^)/
必死にアピールした結果、何とか雇ってもらえることに^^;
為せば成るもんなんですね!(笑)
父の死をきっかけに東洋医学への関心が芽生える
しかし、何の因果か?
その後、北海道で一人暮らしをしていた時、父の末期ガンの宣告を受ける。
遠方より、どうすることも出来ない自分に苛立つ中、医学の「い」も知らないながら、無我夢中で西洋医学の専門書を読み漁る。
まるっきり理解できない医学書に悪戦苦闘しながらも、何となく父の末期ガンへの西洋医学のアプローチ手段に限界を感じ、ひどく落ち込む。
諦め切れずにいた頃、ある東洋医学の書物と出会う。
木(結果)に問題があるのなら、それらの土台となる森(原因)を見ろ!
「これだ!」と意気揚々する。
それ以後、東洋医学の書物を読み漁り、病気に対する東洋医学のアプローチ方法にますます、興味を抱くこととなる。
しかし、そんな期待も虚しく父は帰らぬ人となりました。父の死後、東洋医学だけでは治りきらなかった父の死を振り返り、東洋医学と西洋医学の融合が必要だったのでは?とその頃より、薄々、気づきはじめる。
*当時、北海道では、自分でトラックをリースし、市場で仕入れた魚や野菜などを走るスーパー(改造トラック)で音楽鳴らしながら行商しておりました^^(結構、楽しかったなぁ)
運命の書籍との出会い
父の死後、北海道から帰郷。 当時24(あっ、厄年ですね^^;)
大阪へ帰ってきたものの「これだ!」という職に出会えず、職を転々とする日々に、母はもちろん、友人、友人のお母さんからも「どんな仕事もガマンが必要やで!」と呆れられる(><)
そんな一番落ちていた頃に、なんとも不思議な出来事を体験する。
何をしたいか見出せずにいたある日、本屋へ向かうと遠くの書棚からこちらに向かって「おいで」と言わんばかりに
光りを放っていた(ように見えた?)、ある1冊の本に巡り逢う。
それが「整体師になろう」という本でした。
不思議な感覚のまま手に取って読んでみると、稲妻のように体に衝撃が走ったのを覚えています。
またしても「これだ!」と運命を感じ
、その場で業界入りを決意。
今でも忘れることのできない、何とも摩訶不思議な体験でありました。
整体院の師匠へ弟子入り、バランス整体院エールを開院
でも、整体師になるにはどこで学べば良いものなのか?
右も左もわからない状態だったため、また例のタウンページを活用し
「整体 各種」【あ】行〜順番に「弟子入りとか募集してないですか?」と数撃ちゃ当たる攻撃(^m^)
やはり、為せば成るんですね^^数件訪ねた整体院の院長から
「人の体は10万人診てやっと一人前になる。もし、覚悟があるのなら弟子に来い!」という言葉を受け、そこへ弟子入り志願する。
弟子入り修行5年間を経て、中国整体、オステオパシー、カイロプラクティック、リンパドレナージュなどの様々な徒手療法を学べる学校へ。
今思えば、弟子入り → 専門学校 という順番のおかげで、弟子の時に漠然と積んできた経験を、知識を学ぶ環境によって、点と点が一つの線につながったんだと思います。(順番に感謝!ご縁に感謝!)
専門学校を卒業後
2008年4月、大阪堺市でバランス整体院エールを開院することとなる。
開院後も徒手療法だけに留まらず、西洋医学と東洋医学の融合診断術・心理学・コーチングなどを学び、 “心”の影響が病に大きく関与する事を改めて再認識する。
このことから、「治りたい」と思う気持ちと原理原則となる部位への的確なアプローチが相乗効果を発揮し、 大きな改善のきっかけになることに気づく。
「心と体のバランス改善」に努める整体院を理念に掲げ、現在に至る。
当院のリピーターさまからは、
「その時の状態に応じた施術をしてくれる」
「ソフトな施術なのに効果がすごい!」
「納得できる説明をしてくれる」という評価から
「気さく」「話しやすい」
「親身になって一人一人と向き合ってくれる」と、
技術面だけでなく、接客対応にも評価してくれる方も多数。
「院長はどんな人?」当院のリピーターさまの声
「心」が「身体」に深く影響することを知ったきっかけは?
弟子入り修行していた当事、早く師匠に追いつきたくて必死でがんばりました。
ですが、そんな努力も虚しく、私を目当てに来てくれるお客さまは一向に増えません。そんな状態が5年も続きました。
その頃、かなり自信をなくしていた私は、半ば投げやりな気持ちと同時に、今の状況を変えたい!との思いから、師の元を離れ、整体の学校に通うことを決意。
当時すでに、結婚していたため、昼間は整体の専門学校へ通い、朝、晩は整骨院でバイトをすることに。
そして、専門学校で学んだ心理学と、整骨院で経験したある出来事がきっかけで、「心と体はリンクしている!」を体感させられることとなる。
それは・・・
5年間、弟子入り従事してきた頃、なかなか良い結果を出せずにいた私でしたが、不思議なことにその整骨院では次々と患者さまから「楽になった!」と喜ばれる言葉を毎日のように頂くことになりました。
師の元を離れて、まだ2,3ヶ月だというのに・・・
当初は「何で?」とまったく理解できなかったのですが、その専門学校で心理学を学んだ時、「あぁ、そういうことだったんだぁ」と気付く。
- 弟子という立場
- 若手先生を指導する立場
「相手の見方(心理)が変わるだけで、症状は劇的に変化する!」
という心と体のカラクリを身をもって知ることとなる。
あまりの反応の違いに、今でも鮮明に記憶に残っています。
技術だけがすべてではない!
信頼関係が重要だと気付いてからは、相手の悩みに耳を傾け、そして、お客さまにわかりやすい説明や多角的なアプローチに努めることで、お客さまから信頼を獲得できるようになりました。
また、信頼されると自然と自信になり、その自信が相手をさらに安心させ、それが「改善」につながる近道という法則も、お客さまを通じて学ぶことが出来ました。
これからも、新たな縁と新たな試練に感謝し、モットーである「心と体のバランス改善」に日々精進してまいります。ご縁があった皆さま方、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
これまでの実績
実費診療施設、保険診療施設、整体院開業を合わせ、のべ40000人以上の人の身体を触っています。
特に「頭蓋骨調整+骨盤矯正」で脳幹のリンパ(脳せきずい液)を促進する施術で、自己治癒力を高めていくアプローチが得意です。
自己治癒力を高めてあげることで、自ずと自律神経、免疫、ホルモンバランスも整い、ガンコな頭痛や肩こり、むくみ、生理痛、アトピー、更年期障害、自律神経症状などと言った、なかなか病院では改善しにくい症状で悩まれる方々からも大変喜ばれています。
詳しくはこちら「整体院エールの評価」
趣味・興味・特技
趣味 | マジック観賞 海釣り 素潜り 温泉 |
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興味 | 宇宙 細胞 恐竜 心理 不思議ちゃん |
特技 | 神経衰弱(トランプ) |
格言 | 「為せば成る」 |
好きなモノ | 焼き鳥 手巻き時計 海でプカプカ浮かぶこと |
嫌いなモノ | 焼いたレバー 幽霊 ジェットコースター |
所属会員
JHSC専門学院卒業
*解剖実習3年間で5回実習(於 大阪医科大学)
日本整体心理学協会
プロフェッショナル協会
社団法人日本マーケティングコーチ協会
日本メンタルヘルス協会